思い出に「答え」が出るのは何十年も経ってから

先月、21年ぶりに母校の工業高校へ行った。

ちなみに母校の大学は、これまで何度か足を運んだことがある。一人で学び舎を眺め歩いて、懐かしい学食を食べて帰るだけ。挨拶するような人も特にいないので、淋しいながらも気楽なものだ。


でも高校に行くのは、高いハードルを心のどこかで感じていた。


高校に行ったら、やっぱりデザイン科の先生に挨拶したいし(知ってる先生はもういないから、初対面になるだろうけど…)、懐かしい部室に行きたい。でも、仕事がうまく行ってない頃は、顔を出そうという発想が、まるで頭になかった。

今年になり、どういうわけか高校にもう一度「行こう!」と、ハッキリした気持ちが芽生えるようになった。

やっと表に出るような仕事の実績が増えてきたこと…理由はそれだけじゃない。

色々な失敗を重ねて40歳を迎える今だからこそ、あの頃の自分や、在校生の子たちの今の気持ちを受け止められる自信や器量が出来てきたのだと思う。


厳密にいうと、4,5年前に「盛り上がらなかったクラス会」(笑)で、物理的には母校に訪れていた。
文化祭だったので、放送部の子にちょっと話しかけてみたけど、あの頃の自分ではまだ色々受け止めきれず、ダメだった…。(ので、母校に積極的に行ったことにはカウントしない。)


そして今年になり、ドキドキしながら放送部にお邪魔したわけだけど…
皆やさしい笑顔で歓迎してくれて、とっても嬉しかった。


私は高校時代が一番楽しくて、所属していた放送部が何より好きだった。


だからこそ、高校を卒業してからの「放送部ロス」が、かなりひどくて…
とくに20代半ばまで、高校時代を「リアル」に引きずっていた。(厳密にいうと、今も全くゼロではない。)誰と会っても結局楽しくなく、あの頃にただ戻りたくて、淋しくて泣いていた。
(今もときどき、放送部が夢に出てくると泣けてくる。)


だから、部室の扉を開けた瞬間、あの頃の部員たちに「ただいま!」って、タイムリープして帰ってきた感じ。
新しい機材もあるけど、昔のままの棚が置いてあったり、笑いが溢れるアットホームな部室の雰囲気は何も変わってなかった。


部員の子たちとお話してまず思ったことは、「みんなもう大人」だってこと。(もちろん、いい意味で!)
もっと言葉をやさしくして言った方が良いかな…ということは、何一つなかった。

コメントしづらい私自身の思い出話を聞いてもらったり、(ツッコんでいいところ、ダメなところを把握していて、みなオトナだ…!)今の部活や学校のことを質問ぜめさせてもらったり。

対等に話ができて、いっぱい騒いで、とにかく楽しかった!!


喉がかれるほど大声で騒いだのは学生の時以来で、あまりの嬉しさに、自分はうるさいチワワ状態だったのではと、少々心配。(ノートに書き物してる子がいたから、ごめんね!)

私がこうして気持ちよくお話が出来たのは、細かいところまで先輩へ気配りをしてくれた、素敵な部員たちのおかげです。ありがとう。

今度部室に行ったときは、一人一人の子と静かに話をしたいと思う。(学年の色分けは覚えたが、名前を覚えるのはちょいと時間掛かるかも…。汗)


そして私は、そんな素敵な母校で講演会をさせて頂けることになったのです!!
先生からお誘いを受けた時、飛び上がるほど嬉しかった。

放送部が講演会のマイクのセッティングをすると思うので、新旧コラボが実現するのです…!
楽しかった高校時代を語りまくって、い…良いのか?!!(笑)
(どんなお話でも、失敗談でも、等身大でする予定。)


高校時代の楽しかった日々が終わり、20代~30代前半までの長い冬の時代を経て、再び芽吹き始めて40代になる頃、もう一度思い出が繋がった…。繋がるチャンスをくれた。


こんなことって、あるんだなぁ…。
嫌なこと、理不尽なこともいっぱいあったけど、神様に見放されたわけではなかったんだなと。


実は、こういうことは人生二度目。


一度目は、苦しかった20代の頃に、心を救われた深夜ドラマを制作した映画監督の方と、作品づくりが出来ていること。

実現できたのは、あの当時から14年目のことだった。

たぶん、それが「5年目」でも「10年目」でも、ダメだったと思う。
昔は一人で仕事をしてなかったので、仕事の自由が利かなかったり、力量も映画づくりには全く足りてなかった。

でも、あらかじめ組み込まれた神様のプログラミングのように、14年目に出会った。


今回と共通するのは、ずっと強い想いがあったこと。
何十年も想いがあるものは、いつかきっと報われる日が来る。


なかなかイイ話は転がってないから、どんな形かまでは全く保証できないけど…。
小さなことでも、形を変えてでも実現できるんじゃないかと、キレイごとではなく思います。


そういうことを考えると、「心が入ってない」自虐的や営業や、仕事上の付き合いなんて、ホントまるで意味なかったね。(苦笑)自分をいじめるだけだったよ。

でもそういうのを通って見えたものもあるから、それは、そういう時代だったとしか言いようがない。